シドニーのルナパークが20年ぶりに売りに出されました。この遊園地は、シドニーで最も美しい景観の一つを誇り、建物と土地の長期賃貸権を合わせて約7000万ドルの価値が見込まれています。
現在、国内外の購入者を探している中で、ルナパークの歴史を振り返り、その暗い過去について掘り下げます。
ルナパークの歴史
ルナパークは、シドニーのミルソンズ・ポイントに位置する市内最古の遊園地です。アールデコ調のアイコン的な顔のファサードは、毎年100万人以上の来園者を迎え入れています。この遊園地は1935年からミルソンズ・ポイントのウォーターフロントで営業を続けており、州の文化遺産にも指定されています。
当初、この場所はハーバーブリッジの建設用の作業場でしたが、その後遊園地に転換されました。ニューヨークのコニーアイランドに1903年にオープンした最初のルナパークの成功に基づいて作られ、オーストラリアでは3番目のルナパークとして開業しました。
シドニーのルナパークは、第二次世界大戦中やその後の時代を通じて人気のアトラクションであり続けました。
悲劇が訪れた夜
1979年6月9日、この遊園地の歴史が大きく変わりました。その夜、リチャード・キャロル、ジョナサン・ビリングス、シェイマス・ラヒリー、マイケル・ジョンソンら数人の少年たちが、ルナパークに遊びに行きました。
当時12歳だったジェイソン・ホルマンは、友人たちと一緒に「ゴーストトレイン」に乗りました。彼は一人で乗り物に乗り、友達が「地獄の扉」と呼ばれる入口を通り過ぎるのを見ましたが、彼らは二度と戻ってきませんでした。
乗り物の途中で、ジェイソンはパニックに陥った係員によって引きずり下ろされました。その後、乗り物から煙が上がり、瞬く間に火が燃え広がりました。この火災で6人の少年と1人の父親が命を落としました。
ルナパークの再生
この悲劇の後、ルナパークは閉鎖され、遊園地の将来について多くの議論が交わされました。最終的には、オーストラリア・アミューズメント・アソシエーツが契約を獲得し、大部分の乗り物を撤去または売却しました。
1982年、遊園地は「ハーバーサイド・アミューズメント・パーク」として再オープンしましたが、その後もエンジニアリング問題が続きました。1990年にはNSW州政府が介入し、遊園地を守るための特別な法律が制定されました。
ルナパークの現在
近年、ルナパークは順調に成長を遂げており、2021年にはコロナ禍の中で9つの新しい乗り物を含む3000万ドルの改修が行われました。
アメリカの女優シドニー・スウィーニーや歌手のケイティ・ペリー、ピンクなどの有名人もこの遊園地を訪れています。
売却の背景と今後の展開
今週、ルナパークは売却リストに上がり、国内外の大きな関心が寄せられています。売却額は最大7000万ドルに達する可能性があり、カナダの建設大手ブルックフィールドが現在の長期リースを保持していますが、2040年までに賃貸契約が終了する予定です。
NSW州の法律により、この場所は娯楽施設として維持されることが義務付けられており、住宅地に再開発されることはありません。
ルナパークのCEOであるジョン・ヒューズは、「この遊園地は近年、4000万ドルの投資により大きく進化し、記録的な来園者数を誇っています」と述べ、今後も遊園地が成長し続けることを約束しました。
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